堀内 久徳
Hisanori HORIUCHI
 

留学中の仲間たちとの再会


 



私は、1993 年から 1996 年までハイデルベルクの EMBL に留学した。30 代半ばのイタリア人の Marino が率いる研究室で、個性豊かな 7−8 人の同僚達と楽しくエンドサイトーシスの鍵制御因子 Rab5 の研究を行った。その中の Heidi は地元のオタワに帰ってミトコンドリアの分裂・融合の研究を始めて、第一人者となった。最近では、ペロキシソームはミトコンドリアと小胞体由来だとセンセーショナルな説を提唱している。15 年ほど前か、オタワを訪れたときにはオタワ川の上流 100−200 kmの実家に泊めてくれた。川幅 1 km、ゆったりと流れるオタワ川岸の 1 エーカーの家だった。2013 年、Heidi は来日したとき仙台まで足を伸ばしてくれた。母親となり我が家に泊まっていろいろな話をした。今はモントリオールの McGill 大学。今年、国際学会がモントリオールであって再会を楽しみにしていたが、COVID19 に恐れをなしてやめた。残念。どうしているのだろう。今年の 6 月、奈良の学会に Harald が招待された。Harald は地元のオスロに帰って、FYVE ドメインというエンドサイトーシスに重要な PI3P 結合ドメインを発見して、現在はオスロ大学で大きな研究室を持っている。EMBL にはサッカー部があって、Harald が怪我をしてしまい、そのため、私は Marino にサッカーをすることを禁じられた。私が帰国してから、Harald は日本にときどきやってきた。そのたびに高校や大学の OB 戦が必ずあって一緒のチームで楽しんだ。Gordon カンファレンスの時にはきれいな芝生のグラウンドでサッカーをしたが、土砂降りの雨に襲われたのは思い出である。1995 年頃、クリスマスのオスロを訪ねたとき、Harald のマンションに招いてもらった。その後結婚をして、大きな大きな家に引っ越して 12 才の娘がいると写真を見せてくれた。エッ!というと、日本と違ってそれほど高くないよ、ちゃんと払えると言った。私は孫が 4 人と言うと、今度は Harald がエッ!となった。ふたりともいいじいさんになったものだ。

名 前:堀内 久徳(ほりうち ひさのり)

出身地:奈良県
趣 味:囲碁、サッカー、美術鑑賞
分野名:基礎加齢研究分野