舟橋 淳一
Junichi Funahashi
 

戦争、あるいは想像力の欠如


 



 COVID-19は、第8波が危惧されるとはいえ、3年目にしてようやく、ある程度の囲い込みに成功しつつある様にも見えます。この2年半ほどの間に、世の中は「コロナ前」とは明らかに変わりました。そして、その影響があるのかどうかは分かりませんが、東ヨーロッパでは戦争が行われています。「21世紀のヨーロッパで戦争」と文字に起こして眺めてみると、なおさらに信じられない感じがします。しかし、現実に今もそれは進行中です。

 今年の3月のことでしたが、Facebookのタイムラインを何気なく眺めていたら、とても印象深い動画(Facebookの動画)に出会いました。Kiev在住だったプロのピアニストがアップロードしたものです。ロシア軍による爆撃のあと避難先から戻り、割れた窓ガラスや瓦礫が散乱する家の中で、奇跡的にほぼ無傷で残った白いピアノで、とても美しい音楽を奏でる様子が捉えられていました。彼女はこの演奏を最後に、かの地を離れる様で、そのピアノにお別れをしに来たのでした。

 戦争は、破壊行為であるのみならず、殺人行為でもあります。感受性の豊かな子供たちの方が、その恐ろしさにずっと敏感な様です。我が家の小学生も「本当に戦争しているの?」と怯えた様子。ゲーム機で毎日の様にバトル系のゲームをしていても、現実の戦争を恐ろしく感じる心には、あまり影響が無いようです。いっぽうの我々大人は、もう少し想像力を働かせる必要があるでしょう。アフガニスタンやイランで使用された精密誘導爆弾による爆撃の様子を、テレビなどでご覧になった方も多いと思います。赤外線センサー(カメラ)による映像を通して標的に爆弾が命中したのを確認するというものです。操作する兵士は、まるでゲームをしているかの様に感じていたのではないでしょうか。しかし、そのカメラと爆薬の先には、間違いなく人の命があるのです。

 戦国時代、刀を交えて行われる「いくさ」では、想像力を働かせる必要などなかったでしょう。下級兵士だけではなく大将である武将も、「いくさ」で何が行われるかを身をもって体験していたはずだからです。目を閉じて思い返せば、敵(かたき)の苦悶の叫び・血の匂いなどが、ありありと脳裏に蘇ってきたはずです。しかし現代の戦争を指揮する者は違います。だからこそ、武器の先にあるもの、武器を使用した結果を想像する力が必要だと思います。

 冷戦が終結してから、もう先進国が主体となる戦争は起きないのではと半ば期待も込めて考えていたのですが、人間の思考パターンというものは、どうやらそう簡単には変化しない様です。辛い気持ちになるので、できるだけ戦争のニュースは避けているのですが、それでも目や耳に入ってくる情報によれば、かのロシア大統領の頭の中は、帝国主義思想に凝り固まっているかの様に思えます。果たして彼が、子供の頃には持ち合わせていたはずの想像力を、取り戻す日は来るのでしょうか…。

P.S. 私が敬服するコラムニスト、小田嶋隆さんが亡くなったのを、彼のお別れの会が終わった3日後に初めて知りました。亡くなったのは6月24日だったそうです。彼の真似などは到底できないのですが、私は私なりのやり方で、多少の追悼の意も込めつつ、感じたままを文章にしてみました。

(この文章は、とあるコミュニティ向けの会誌に寄稿したものに加筆して投稿しました。)

写真 岩切城:今は穏やかでしかない風景ですが、かつてはここでも「いくさ」があったのです。

名 前:舟橋 淳一(ふなはし じゅんいち)

出身地:愛知県
趣味:機械いじり・日曜大工・ネット検索
分野名:呼吸器外科学分野