山家 智之
Tomoyuki YAMBE
 

何とか華燭の典までたどり着けて

昔の循環器科は、家に帰れませんでしたね~
 



思い出すのが娘の保育所の運動会。
「運動会」たって、保育所なので、ゼロ歳児は、ハイハイ競争だったりして
娘がやっと一歳児で、ポテポテ歩き・・・
年長さんはやっと、子供らしく「走る」雰囲気になってくるわけでした。

やっとつかまり立ちから、ポテポテ歩きに成長し、「歩く」から「走れる」へ
人類の進化みたいに、子供の進歩が見れるのは、親の最大の楽しみの一つと思います。


サ~!娘の出番・・・と、思ったら、ピコピコポケベルが・・・(そうゆう時代)
病棟に電話すると、昔、一緒に解剖などの実習をしていた同級生が電話に出て
「・・・あのお? お休みのとこ、すみません・・・うちの父なんですが、心筋梗塞みたいなんですが・・・」
「え~・・・すぐ行くよ」

娘に「ごめ~ん」と、言って
「・・・え~~~」とか、思いっきり、言われつつ病棟へ
・・・綺麗な胸部誘導のST上昇、

まあ~前下行枝でしょう、たぶん6番か7番。

救急医療で超有名なS病院で研修した同級生は、その医局でも出世頭になるくらい優秀で、仙台の心筋梗塞事情が、よく判っているのです。

その日は土曜日、
当時、週末に、カテ室が動けるのは、オープン病院か?年金病院しかない!
で、
なければ・・・自分の病院?????

同級生に頼られるのは名誉ではありますが
カテ室開けなきゃ
「婦長さんと外科の先生に電話してカテ室開けてリスモダン五百に溶いて、tPA落としてモニター着けて・・・」
オーベンの先生、いま年金だけどお呼びするか・・あっち連れて行くか・・・と、
悩みつつモニター見てると・・・

「・・・あ!」
当時、標準治療が、PTCAか、PTCR、やっとtPAが売り出された直後でした。
同級生も、ビックリ!

「・・・PTCRまでいかなくても、末梢tPAで、論文では、77%位は、再開通って言われてるんだよね」
「もう・・・大丈夫だよね?」
「早かったし開通しちゃえばまず・・・んでも、循環器科としては泊まってみなきゃね」

結局
そのまま病院泊まりで帰れず、娘の初めての運動会の晴れ姿は、見れずじまいでした

親はなくても子は育つというか・・・バージンロードは感無量です

名 前:山家 智之(やんべ ともゆき)

出身地:仙台生まれで、仙台育ち、で、地元の大学に進んだ僕は、「門戸開放!」の、東北大のテーゼからは、ちょっと外れちゃうかな?
その分、地元愛。母校愛。があるつもりですが。
趣 味:日本は、世界で一番大きな「人工臓器学会」を持っており、世界で一番、人工臓器研究者の多い国家である。と、評されます。結局、日本人は、人工臓器の研究が好きなんですね。僕も、要するに結局、人工臓器研究が好きである。と、気がついてしまいました。
分野名:心臓病電子医学分野