荒井 啓行
Hiroyuki ARAI
 

世界文化遺産「軍艦島」上陸体験記

軍艦島に上陸しました
 


平成29年7月28日、認知症に関する講演のため長崎県長崎市を訪れた。当日は偶然にも長崎県の伝統的カヌー競技である「長崎ぺーロン選手権大会」が開かれている日であった。暑い中折角ここまで来たのだから・・・・と思い立ったのが「軍艦島上陸ツアー」である。軍艦島の正式名は端島(はしま)と云うそうである。ツアーガイドさんの説明では、大正時代のとある新聞記者が端島炭鉱の煙突から煙を上げる姿を「軍艦と見まがふさうである」と報道し、実際長崎市で建造された旧日本海軍の戦艦土佐に外観がよく似ていたことから、その後「軍艦島」と称されるようになったそうだ。風速が秒速5メートル超、波高が0.5メートル超、視程が500メートル以下のいずれかに該当する場合には、上陸できないことになっている。翌日の7月29日午前、外気温はすでに30度を超えているが、風はなく快晴で波は穏やかな日であったため、予定通り出発し、無事上陸。ツアーガイドさんによると梅雨や台風の影響で、7月の上陸成功率は僅か34%とのことであった。まことにラッキー!!

軍艦島を構成遺産に含む23資産は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産に登録されている。幕末から僅か半世紀と云う極めて短期間のうちに製鉄・製鋼、造船、石炭産業の近代化を自力で成し遂げた本邦の歴史を証明する遺産として位置付けられたと思われる。このフレイムワークの中で、軍艦島は炭鉱の島として、石炭産業の面で日本の近代化や高度成長期を支えてきた。

軍艦島に近づくと上陸船はいったん西の外洋に出て、南北に長い軍艦島の全景を見ながら、再び向きを変え接岸態勢に入った。南端のドルフィン桟橋からいよいよ上陸開始。世界文化遺産とは云え、近づいて観ると軍艦島の実体は「風化が進んだ鉄筋コンクリートの塊」のように思えた(写真)。鉄筋コンクリートは太陽光でどんどん熱せられ地上温度は摂氏40度はあっただろうか。第3見学地点まで来たところで暑さに耐えきれず、「暑くて我慢できない方は船に戻っても結構ですよ」とツアーガイドさんの天の声に救われて、一足早く帰船。エアコンも冷蔵庫もない当時の軍艦島で人々はどのような生活を営んでいたのだろうか。扇風機はあったのだろうか。一方で、銀行、デパートや学校などは整備され、自己完結型の近代都市として、最盛期の人口密度は東京都より高かったそうである。トイレは落下式で外洋へと投棄していたそうで、そのためかしばしば感染症が大流行。島の北端には一般病棟のほかに隔離病棟もあったそうである。その病棟内には当時の診療録が今でも放置されたままとのこと。これからもこの孤島の鉄筋コンクリート遺産は熱、風雨や海水によって確実に風化を続け、いずれは崩壊の危機は免れないと思われた。今後この世界文化遺産にどのような修復を加え、保存・維持していくのか、上陸船に乗る私のようなお気軽観光客が増えることによる経済効果を期待するだけの生易しい問題ではないことを痛切に感じた。長崎県の今後の対応に注目したいと思う。

次回は臨床腫瘍学の石岡先生です。

名 前:荒井 啓行 (あらい ひろゆき)

出身地:群馬県
趣 味:旧所・史跡を廻りこの国の原風景を探ること
分野名:老年医学分野