堀内 久徳
Hisanori HORIUCHI
 

失敗だらけの人生だ!

数々の勝手と失敗を許していただき感謝に堪えません。
 


思えばずいぶん勝手なことをしてきた。子供の頃から今に至るまで漬け物が嫌いだ。奈良県出身なのに奈良漬けは見たくもない。両親は笑って何も言わなかった。学生時代サッカーで鍛えた脚力への過信からぶっつけでホノルルマラソンを走った。しかもゴールイン直後に横の公園で子供らとサッカーをした。翌日から2-3ヶ月歩けた状態ではなかった。ばかとしか言いようがない。

ほとんどが卒業後すぐに大学の医局に入局した時代、飛び出して天理よろづ相談所病院でレジデントをした。2年後、心臓の侵襲的治療では我が国のパイオニア的な病院である小倉記念病院循環器科にそのまま移った。そして当時、部長の延吉正清先生に、おまえに適う上司としては、とのお勧めに従って卒後6年目に、脂質代謝のエキスパートの北徹教授の京大大学院老年科大学院に入学した。当時の私の興味は、冠動脈バルーン拡張療法後の再狭窄、即ち平滑筋細胞増殖であり、脂質代謝にあまり興味を持てなかった。北先生はそれならと、大学院2-4年は神戸大学生化学教室、高井義美先生の教室に里子に出して頂いた。高井先生の教室での細胞内情報伝達に関する研究で北先生に学位を頂いた。大学院後、すぐ留学してはということで、欧州分子生物学研究所でエンドサイトーシスを研究するZerial博士を考えた。北先生には、当初、臨床医のおまえがなぜエンドサイトーシスかということであったが、Zerial博士が来日され直接お話しされたあとには、なぜすぐ留学しないのか?となった。3年の留学のあと、京大病院老年科のスタッフとして帰国し研究室を持たせていただいた。高井先生やZerial博士はすでにエスタブリッシュされており、両先生方とはすこし異なる研究をしたかった。教室のテーマである動脈硬化について研究を始め、3年ほどして論文も出始めた。しかし、二人の大学院生がともに新婚旅行と、ヨーロッパの学会参加のために出払い、私が風邪で寝込んだ時に、ベッドの中でこのまま続けても限界があると考えた。みんながそろったとき、ごめん、これまでのテーマを総流しにしようと宣言した。みんなは許してくれ、北先生も何も言われなかった。その後、高井先生やZerial博士のテーマに若干近づけ、活性化血小板の分子機構の研究を行い、その後、抗血小板療法の効果評価の臨床研究にまで手を広げ、運良く軌道に乗った。数々のわがままや失敗をよく許していただき、育てていただいたと、周りの皆様、特に北先生には感謝しかない。

次回は医用細胞の松居先生です。

名 前:堀内 久徳(ほりうち ひさのり)

出身地:奈良県
趣 味:囲碁、サッカー、美術鑑賞
分野名:基礎加齢研究分野