堀内 久徳
Hisanori HORIUCHI
 

夢の世界で、

想えば留学時代のわくわく感が続いているような
 


このごろ海外留学をする若者が減ってきている。しかし、うまくいけば、長く楽しい世界旅行で、しかも友人もたくさんできて、成果も上がる。私は1993-1996年に、博士研究者としてハイデルベルク(ドイツ)にある欧州分子生物学研究所、通称EMBLの細胞生物学部門、Marino Zerial博士の研究室で細胞内膜輸送の研究に従事した。Marinoは私より1歳年上のイタリア人。研究室は、国際的で約10 名のメンバーの国籍は、ドイツ、イタリア、アイルランド、スペイン、カナダ、ノルウェー、ロシア等様々。

ボスや研究室メンバーとのディスカッションでは負けないように、下手な英語でほとんど足腰で踏ん張って研究に没頭した。研究所全体では日本からの研究者は少なく常時3-5 人程度だった。研究所は街からは車で20分、山の上の隔離されたようなところにあって、春から夏に20cm位の黒色でオレンジの嘴の鳥がそこここでさえずっていたことを憶えている。研究所の食堂のシェフはイタリア人という噂で周囲よりダントツにおいしく、巨大鍋で作られたパエリアがうれしかった。ハイデルベルクの街は城やネッカー川や、ゲーテが思索に耽ったという元祖哲学者の道などがあるドイツ屈指の観光地である。

新市街にはハイデルベルク大が1km四方の大きな敷地にあった。私たちの住居は大学のすぐそばの閑静な住宅街で、2-3軒先には皇太子がミュンヘンオリンピックの時に出会ったというスウェーデン王女の実家があった。あのときのメンバーはどうしているのだろう?Marinoはドレスデンのマックスプランクで健在、来日時には実家の近所の古墳や寺を散策して甚く気に入ってくれた。はじめの2年間一緒に研究を進めたOliverとは一度電話で話したきりだが、ハンブルグでがんばっているようだ。Haraldはノルウェーに帰国後に、FYVEドメインを発見し、現在オスロ大学教授、クリスマスのオスロに訪ねて、太陽が昇らない!ムンクの叫びが何となく理解できる気がした。

来日時には2-3回サッカーの試合を一緒のチームで闘った。Carolは今、ギリシャ。大丈夫だろうか。オタワのHeidiはミトコンドリア研究でブイブイいわせているが、2年前に加齢研にきてセミナーをしてくれた。そのほかにも多くの顔が浮かんでくる。夢のような経験だった。想えば今でも夢の中にいるような。若い研究者には、どんどん挑戦して欲しい。

次回は医用細胞の松居先生です。

名 前:堀内 久徳(ほりうち ひさのり)

出身地:奈良県
趣 味:囲碁、サッカー
分野名:基礎加齢研究分野