堀内 久徳
Hisanori HORIUCHI
 

我が国の冠動脈医療の標準化に貢献した1-3-6スタディ

誇るべき臨床研究に参加できた幸運
 


私は、今でいう後期研修を1986-1989年に社会保険小倉記念病院循環器内科で修めたが、そこで誇るべき臨床研究に参加させていただいた。今回はこの研究をご紹介したい。当時、その循環器内科は我が国の心臓カテーテル治療のトップの一人であった延吉正清部長が率いておられ、心臓カテーテルでは日本一の症例数を誇っていた。今日では、金属ステントを用いた冠動脈拡張療法が我が国でも年間25万件以上施行されているように、冠動脈拡張療法は狭心症や心筋梗塞の標準治療となっている。しかし、1990年代半ばまではステントはまだ普及しておらず、狭心症や心筋梗塞症の治療としてはバルーンによる冠動脈閉塞・狭窄部位の拡張のみが行われていた。その治療後の合併症として拡張後の再狭窄が、世界的に、臨床上の大きな問題であった。再狭窄はバルーン拡張部の傷の組織修復反応である。我が国でも冠動脈治療後のある時期に、再狭窄のため不安定狭心症や急性心筋梗塞となって緊急搬送される患者があとを断たず、どのようにフォローするかが悩ましいところであった。

そこで、1-3-6スタディと呼んでいた研究が組まれた。小倉記念病院での冠動脈拡張術後の患者さんでご協力・ご承諾が得られた全員を、治療直前・直後、1日後、1ヶ月後、3ヶ月後、6ヶ月後、1年後にカテーテル検査を行い、どの時点で再狭窄が生じるのかを前向きに評価した臨床研究である。患者さんの負担を極力減らすため、肘窩の動脈穿刺によるアプローチによる心臓カテーテルを外来で行うという初めてのシステムが導入された。最終的には229人のデータを評価し、再狭窄は1ヶ月後から3ヶ月後の間に進行し、3ヶ月以後はほとんど進行しないこと、ほとんどの再狭窄症例は3ヶ月で発見可能なことがわかった(右図)。また、病理学的解析からも、数ヶ月を過ぎれば新生組織が成熟し、それ以上増大しないことがわかった。(私は病理解析グループのメンバーとして、3年間の小倉研修中に2回、除夜の鐘の音を剖検室で聞いた。今となっては懐かしい。)この研究のインパクトは絶大で、冠動脈拡張療法の合理性に理論的根拠を与えると共に、その後10年ほど、我が国のほとんどの病院では冠動脈拡張3ヶ月後に一度心臓カテーテル検査で評価して、再狭窄がなければ経過観察、再狭窄があれば再拡張をするという戦略がとられるようになった。

医師となって3-5年目の私は無我夢中であったが、後で振り返るとこの研究のインパクト・重要性に改めて思い至る。基礎研究でも臨床研究でも、1歩ずつ、しっかりと世の中を前進させていくことが大事だと考えている。

次回は医用細胞の松居先生です。

名 前:堀内 久徳(ほりうち ひさのり)

出身地:奈良県
趣 味:囲碁、サッカー、美術鑑賞
分野名:基礎加齢研究分野