Arai

 

教授 医博 荒井 啓行
准教授 医博 冲永 壯治



老年医学分野の概要

平成24年日本の高齢化率即ち65歳以上の高齢者が全人口に占める割合は24%を超えました。高齢化率が21%を超えた社会を「超高齢社会」と呼んでいます。日本はまぎれもなく世界一の超高齢社会を形成しています。日本の総人口は平成19年にピークを迎え現在は減少に転じていますが、総人口を1億2500万人とするとその24%に相当する約3000万人が65歳以上の高齢者となります。そして、平成23年における平均寿命は男性79.6歳、女性86.4歳と昭和22年の時の平均寿命が男性50.6歳、女性53.9歳であったことを考えると、短期間で実に見事に長寿社会を達成したことが分かります。

人間は誰でも長生きをしたいと望んでいますが、老人になることを好みません。それは自分が老人になる日など思いも及ばない遠い先のことで現在の自分とは関係がないことのように考えてしまうからです。しかし、50歳を過ぎる頃の年齢になるとはるか水平線の彼方に自分の老人像が現れてきますが、できるだけそのことには触れずに考えないようにして暮らし続けます。ですから高齢者を対象とした観察研究の成果は限定的でした。方波見康雄先生の著書の中に「子供嫌うな自分も来た道じゃ、老人嫌うな自分も行く道じゃ」という言葉があります。老年医学は老人を積極的に研究対象とし、自分の将来を見据えながら想像力で切り開く新しい学問と言えます。認知症、誤嚥性肺炎、骨粗鬆症など長寿社会を達成したが故の新たな医学的課題が突き付けられています。高齢者は複数の疾患を抱えていることが多いのですが、WHOは健康について「Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.」(健康とは、身体的、精神的及び社会的に完全に安寧な状態であることを意味し、単に病気がないとか、虚弱でないということではない)と提唱しています。たとえいくつかの疾患を抱えていても、高齢者の健康は、自立した日常生活を営めることがポイントとなります。また、米国でボルチモア老化縦断研究を考案したDr. Nathan Shock は「The object of Gerontology is not merely to increase lifespan, but to minimize the disability and dependence in old age」(老年学の目標は単に寿命を延ばすことではなく、障害や要介護状態に陥ることをいかに少なくするかである)と述べています。英国の老年医学入門書であるABC of Geriatric Medicineには図1のような道路標識が掲載されています。高齢者は道路横断中の突然の転倒など思いも寄らないアクシデントが考えられるので、運転者は慎重に運転するようにとの注意喚起である。同様に老人では症状の出方が教科書通りにはいかず非典型的であることが多いと指摘されています。

壮年期までの医療が「減点型医療」であるとすれば老年医療は「積算型医療」と言えるでしょう。例えば、メタボリック症候群の概念に代表されるように壮年期までの医療ではA、B,Cという3疾患を抱えることによってマイナス方向に連続減点されますが、老年期の医療では同じA、B,Cという3疾患があっても、減点よりも残された機能をプラス方向に積算してどの程度の日常生活が期待できるかが大きなポイントとなります。退院支援における「高齢者総合機能評価」はこの意味で大変重要なポイントです。一方、壮年期の疾患が高齢期まで持ち越され、高齢者にも依然として高い頻度で見られるというのは従来の臓器別診療体系の枠組みでの対応が優先されます。当分野は、東北大学の開学以来の理念でもある「実用忘れざる主義」に鑑み、現場主義・実学を重視し、高齢者の医療・介護にとって実用性の高い研究を育てることを目標にしています。

図1
図1:英国の老年医学入門書である
「ABC of Geriatric Medicine」にはこのような道路標識が掲載されている

1. アルツハイマー病と認知症研究
現在国民から最も恐れられている病気が認知症であると言われています。確実な治療法が未だに確立されずまた予防にも手が届きません。この30年の間にアルツハイマー病など認知症の病態の理解には著しい進歩が見られ、脳内蓄積物質を基本的な出発点として疾患の本質が論じられるようになったことは特記すべきことです。その最も大きな流れが今日のアミロイド仮説でしょう。アミロイド仮説では、上流側にアミロイド、下流側にタウと神経変性が位置するものです。つまり、アミロイド前駆体蛋白から切り出されたアミロイド断片はその凝集の過程で毒性を獲得し、タウ蛋白の異常リン酸化や神経細胞死などすべてのイベントを引き起こすものであり、アミロイド蓄積がコントロールされれば、アルツハイマー病そのものも制圧可能であろうと考えられています。70歳から物忘れが目立つようになり5年ほどは日常生活が自立していたが、75歳時には問題行動が出現しアルツハイマー病との診断を受けた患者を想定すると、この患者では、アミロイド蛋白の脳への異常蓄積(老人斑の形成)が始まったのは50歳前後、タウ蛋白のリン酸化(神経原線維変化の形成)とそれに伴なう神経細胞死を生じ始めたのが60歳‐65歳頃と予想されます。年齢には多少の前後はあるにしても、アルツハイマー病ではアミロイド蛋白の蓄積開始から臨床的に認知症初期症状が出現するまでにおよそ20年ものタイムラグがあり、その間自らの脳にどのような変化が起こっているか自覚されることがありません。そこで、アミロイドやタウが蓄積した状態を簡便にしかも感度よく検出する方法論を開発することがこの疾患の先制医療や予防介入を考える上で大変重要になってきます。その1つがアミロイドイメージングと呼ばれる新しい分子イメージング技術と言えます。図2は上述のアミロイド仮説の上に診断・治療の枠組みを重ねてみたものです。今日に至るまでアルツハイマー病の臨床診断は「日常生活の自立性を失う程度にまで進んだ認知機能障害の存在」を証明することが診断のすべてでした。しかし、この認知機能障害は予備能を大きく上回る広範な神経細胞死を背景に生じていることや失われた神経細胞の再生は今日でも困難であることを考えると、認知機能評価にのみ依拠するような診断法は過去のものとなるでしょう。それに対して今日最も汎用されているのがMRIや脳血流シンチであり、これらは直接的あるいは間接的にすでに生じた神経細胞死の広がりを反映する指標と考えられます。早期診断と早期治療を可能にするためには、神経細胞死のさらに上流にあるアミロイドやタウの蓄積に目を向けることは必然と言えましょう。アミロイド蓄積を捕捉する方法論が開発されれば、アミロイドを標的とする分子治療が可能となると期待され、またタウ蓄積を捕捉する方法論が開発されれば、タウを標的とする分子治療が可能となるでしょう。アルツハイマー病の診断・治療のパラダイムが大きく変わろうとしています。このパラダイムシフトをもたらす橋渡し的役割を担うのがバイオマーカーです。当分野は、東北大学病院に専門外来としての「物忘れ外来」を設置しています。東北大学病院「物忘れ外来」の特徴は、バイオマーカーを用いた客観的な診断根拠に基づいた正確な診断および認知症と関連する生活習慣病や多臓器疾患への包括的アプローチが可能であることです。対象となる主な疾患は、アルツハイマー病、脳梗塞後遺症、レビー小体病、パーキンソン病、前頭側頭型変性症、皮質基底核変性症、進行性核上性麻痺、薬物性認知症などです。治療可能な認知症、せん妄やうつ状態との鑑別が重要であることは言うまでもありません。分子神経イメージング研究は、臨床試験推進センターの工藤幸司教授、医学系研究科機能薬理学分野の谷内一彦教授、サイクロトロンRIセンターの田代学教授らと連携して進めています。この分子神経イメージング研究では、東北大学で独自に開発に成功したプローブ(BF-227)を用いてアルツハイマー病の脳に蓄積するアミロイド分子の画像化に我が国で初めて成功しました(図3)。また、探索的臨床研究としてAlzheimer’s Disease Neuroimaging Initiative研究 (J-ADNI) のコア施設として引き続き患者登録を進める予定です。認知症先端医療に関心のある研修医の方は是非見学にきて下さい。

図1
図2:アルツハイマー病の診断・治療のパラダイムが大きく変わろうとしている。この図は、アミロイド仮説に現在のアルツハイマー病の診断・治療の枠組みを重ねて図解したもの。アミロイド蓄積を捕捉する方法論が開発されれば、アミロイドを標的とする分子治療が可能となることが期待でき、またタウ蓄積を捕捉する方法論が開発されれば、タウを標的とする分子治療が期待される(Arai et al. Tohoku J. Exp. Med. 2010より引用)。
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図3:BF-227アミロイドプローブによる正常者(左)アルツハイマー病患者(右)
でのアミロイドイメージング画像

2. 災害医学研究(気仙沼プロジェクト)
平成23年3月11日、東北・関東太平洋沿岸地域は東日本大震災という未曽有の震災と津波により2万人近い方々が死亡または行方不明となりました。震災直後には自宅を失い避難所生活を余儀なくされた方々から多数の重症肺炎患者が発症、当院にも搬送されてきました。また、避難所生活を余儀なくされた認知症患者には認知機能やBPSDの著しい増悪傾向も見られました。避難所を出た方々の多くはその後仮設住宅に移りましたが、仮設住宅でどの程度の健康状態を維持しているのか実態は全く把握されていません。福島県南相馬市における高齢化率は1年間で6%上昇したように、被災地区においては若年者の流出による高齢化の急激な進行が懸念されています。当分野では加齢医学研究所と気仙沼市との共同事業として「厚生労働科研 H24-認知症対策総合研究事業  研究課題 東日本大震災被災者における 認知機能と日常生活動作の前向きコホート研究 」を開始しました(研究代表者 古川勝敏)。この研究では、気仙沼地区の仮設住宅に居住する65歳以上の高齢者2000人を対象としてその認知機能やADLの経年変化を3年間に亘って調査する予定です。

3. 高齢者における安全な薬物治療開発研究
高齢者においては、薬物の代謝・排泄、体内分布や血清アルブミンとの結合などの問題で、若年者に比して薬物有害事象が現れやすくなります。多病による多剤併用もこの薬物有害事象に拍車をかけます。一般に新薬臨床試験(治験)においては、75歳以上の後期高齢者がほとんど対象となることがないまま、第3相試験で有効性と安全性が証明されれば市場に出回ることになります。市販後は当然のことながら75歳以上の後期高齢者にも使われますが、高齢者における有効性と安全性が十分担保されたとは言えません。また、認知症患者においては服薬遵守率が低いことが指摘されており、認知症患者における服薬遵守率を向上させる工夫も重要視されています。当分野と当研究所寄付部門である「高齢者薬物治療寄付開発研究部門」が共同してこの研究課題を担当します(大類孝教授)ので、高齢者薬物治療寄付開発研究部門のホームページも参照下さい。

4. 高齢者総合機能評価と肺炎・終末期医療研究
自宅でトイレに行くまでの間に転倒し骨折した患者を手術治療だけを施して自宅に戻してよいものでしょうか?高齢者では入院治療と在宅療養が一連のプロセスであり包括的なADLやQOLレベルの把握がとても重要です。身体機能のみならず精神・社会環境的要因も重視した包括的な評価法を高齢者総合機能評価と呼びますが、上記のような患者には骨粗鬆症の評価のみならず、この高齢者総合機能評価を積極的に導入し、どうして転倒したのか、在宅に戻すことでどのような事態が予想されるかなどを考えなければなりません。高齢者が種々の原因で(半)恒久的に経口摂取が不可能になるのは珍しい事ではありません。90歳台では肺炎が死因の第1位を占めます。誤嚥性肺炎を未然に回避するため、寝たきり状態の高齢者に対して経管栄養法を導入するのが一般的です。図4は、寝たきり期間と生命予後との関連を示していますが、寝たきり期間がすでに6か月を超えている場合は、経管栄養法を導入しても1年を超えて生存できる患者はほとんどいないのが実情です。経管栄養法の有効性や導入後の予後、栄養状態、肺炎発症のリスク、褥創等の改善や予防効果などについての医療・介護現場からの報告は驚くほど乏しいのが現状です。また、治療法としてのガイドラインも未だ確立していません。老年看護学や栄養学を修めた方も是非このプロジェクトにご参加下さい。

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図4:経管栄養導入前の寝たきり期間別の生存曲線を示す。寝たきり期間がすでに6か月を超えている場合は、経管栄養法を導入しても1年を超えて生存できる患者はほとんどいないのが現状である。