加齢研ニュース 第36号

           (平成13年12月1日)

所長室便り
随想
分野紹介
研究員会便り
学会報告
研究会同総会広報


「所長室便り」 帯刀 益夫

 大学、附置研究所を巡る情勢についての最近の情報をお知らせします。国立大学の法人化については、9月27日に、「文部科学省国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議」から「新しい「国立大学法人」像について(中間報告)」が公表されました。ここでは、「これまで我が国の学術研究の推進と研究者養成の中核としての役割を果たしてきた国立大学が、教育・研究のさらなる展開を通して世界水準の個性豊かな大学となるために行うべき改革の具体的方法として、国立大学に民間的発想の経営手法を導入し、国民に支えられ、社会に開かれた大学として、国民や社会に対するアカウンタビリティを重視すると同時に、経営責任の明確化による機動的・戦略的な大学運営を実現する」としています。そして、大学の経営面についての改革を具体的に提言し、産業技術への貫献を通して社会に役立つ大学としての役割を明確にしていますが、一方で、これまで基礎科学の裾野を営々と開拓しつつ人材を育成し、現在の我が国の高い科学技術水準の実現に貢献してきた大学の研究機能に対する評価と、それを踏まえた今後の長期的な展望と施策に対する言及が不十分であると思われます。これまで、文部科学省、あるいは国大協等でこれら検討を進めるなかで、大学附置研究所からの参加は無く、大学附置研究所の役割に付いて明確な構想が出されていないことから、全国大学附置研究所長会議として「国立大学法人化後も、大学附置研究所・センターが自発的な研究活動を通して調和のとれた学術研究と科学技術の発展、ならびに高度な研究者の育成に一層の貢献が可能となるよう、研究体制の発展と財政的基盤の確保が担保されるよう要望する」との声明を出し、文部科学省へも強く働きかけていこうとしています。先般、国立共同利用研究所長なども、「重点的研究推進だけでなく基礎科学研究推進についてもきちんとした政策をすすめるべきである」との意見を表明しております。
 小泉内閣の構造改革政策もいろいろな形で進められており、国立大学の法人化政策の進み具合にもいろいろな影響を与えています。経済諮問会議などからの強い要請があったものと思われますが、最近の文部科学省のいわゆる「遠山プラン」では、「世界最高水準の大学つくりプログラム」として国公私トップ30位までの大学のランクで予算的な裏付けを行い、競争的環境をつくり出そうとしています。具体的には、学問分野を10分野に分け、30分野程度について重点的投資を行うというもので、加齢研の領域としては、医学、生命科学などの領域になりますが、まだ、大学院専攻の形で申請するのかなど、申請の形式も囲まっておらず、東北大学の評価委員会で申請等に付いて大学としてまとめた議論をすることになっており、東北大学としても積極的な取り組みを行っています。
 日本の科学技術政策について、内閣府の総合科学技術会議が中心となって重点的課題を策定し、それに向けた取り組みを強化する方向が強まってきました。これら重点的課題は、経済諮問会議などと対応しつつ進められており、「ライフサイエンス」、「情報通信」、「環境」、「ナノテクノロジー・材料」などが今後5−10年ぐらいの重点的課題となっています。それぞれ、総合科学技術会議の重点分野戦略調査会で検討を重ね、「ライフサイエンス」分野では、今後5年間の推進すべき課題として「活力ある長寿社会実現のための疾患の予防・治療技術」、「物質生産および食料・環境への対応のための技術」、「萌芽・融合領域の研究および先端解析技術の開発」などを選定しています。
 10月22日には第2回ライフサイエンスサミットが東京で開催され、私も出席しましたが、ライフサイエンス推進議院連盟議長の加藤紘一議員、尾見科学技術政策担当大臣なども終日出席され、学会、産業界、政界、官界等からの出席者が多数あり、ライフサイエンス研究の振興ばかりでなく、現在の経済的不況と産業構造の変化の中で、新産業の創出に向けてバイオサイエンスヘの期待が非常に大きいことが感じられました。そして、大学発のベンチャーの立ち上げなども政府としてサポートしてゆこうとする姿勢が強くなっており、これまでの国立大学のあり方に対する批判と期待が入り混じった政策が進められており、日本の科学研究推進の上から、このような潮流が正しいかはともかくとして、加齢医学研究所としても、研究目的等と合致する領域での研究推進などの政策をよく勘案して、将来像を具体化してゆく必要に迫られています。総合科学技術会議の検討内容はホームページで公開しており、詳細を見ることが出来ますので、時々御覧下さい。
 大学のあり方検討委員会では、東北大学に理念、目標、目的などを検討しており、中間報告が出されましたが、これは、法人化後には、それぞれの大学の理念や目標に対して、どのように取り組んだかの評価を明確にし、評価に見合った予算を要求する形を想定したものと言えます。国立大学の外部評価については、すでに大学評価機構による評価が始まっており、東北大学はこれまで、対象部局としては理学系研究科が研究評価について進められておりますし、全学的なものとしては、「教養教育(全学教育)」、「教育の社会へのサービス」などのテーマについて進められており、これら評価においては、当面、単なる競争的な評価や絶対的な評価を行うのではなく、この評価にもとづいて具体的な改善が図れるような評価形式を模索しつつ進めるということです。
 東北大学としては、法人化後の大学組織のあり方を考慮に入れながら、大学の管理運営体制として、総務担当副総長のもとに数名の教授、助教授で構成される企画室を設け、管理運営に付いての議論が進められるようになりましたし、研究担当総長特別補佐のもとに研究推進審議会を設け、大学としての研究推進への取り組みを強化することにしております。このような方向性は、これまでの部局の自治は専重しつつも、総合大学としての方向性を明確にして、大学の個性を出し、競争的環境に耐えてゆける体制を作ろうとするものです。さらに、全学的なオーバーヘッド体制の導入を行い、全学教育の整備、青葉山キャンパス移転が遅れている移転予定部局の建物老朽化を考慮した整備へのサポート、あるいは総合大学としての教育研究体制の整備などを行うことを決定しています。オーバーヘッドの導入は加齢研としても始めており、今後部局運営の基盤的予算が減少するなかで、とくに病院棟の利用が始まると、その経費の増加も考慮に入れて、どのような使途にするか検討する必要があります。
 また、第10次定員削減により、学内流用定員を利用して対応していたこれまでのやり方はできなくなり、実質的な定員削減を各部局に割り当てられ、さらに、全学教育等学内共同的定員配置を可能にするため、欠員を設ける等の対応策を考慮中であり、加齢研としてもかなり厳しい対応が迫られています。
 平成14年後の概算要求としては、前年度要求していた研究部門増設の要求は、先に述べた定員削減などによる定員のやりくりができないことから、加齢研独自の要求は行わず、医学部、歯学部、薬学部、加齢研の協力の元に、学内共同センターとして「創成医学応用研究センター」を創設するという要求に協力するという形で進めており、今後具体的な対応が必要となってきています。
 法人化を前にして、附置研究所としての加齢医学研究所の将来像と、来る平成15年度の概算要求に向けた取り組みを進めるため、教授会では「将来構想についてのワーキンググループ」と「組織管理運営についてワーキンググループ」を設置し、加齢研の今後の方向性を明確にし、また、法人化後の組織体制の具体的課題について鋭意検討を重ねています。今後の概要要求は部局単独というよりは、ある程度部局間の協力体制を組みながら進めることになると思われますが、東北大学のライフサイエンスの研究体制が良くなるような将来構想にしたいと願っています。

「随 想」  保健医療福祉制度は従属変数 檜森 巽

  「世は振子
   左右に振れ 上下に揺れて
    移ろいゆく」
  
 葭(よし)の髄から世の中をのぞき見て60年、還暦を過ぎた頃から時折心に浮ぶ感慨です。
 昨年4月宮城県立瀬峰病院より、宮城県総合衝生学院に移りました。聴参器をチョークに持ちかえて、講義や講話などをしております。
 臨床検査学科の学生には「医学槻論」と「臨床医学総論」ですが、他に臨床看護学科の「健康管理論」と「看護関係法規」、保健婦養成の公衆衛生看護学科の「保健行政論」、看護教員養成講習会での「保健医療福祉制度論」と「看護学校管理論」なども受持っています。
 各学科から、講師のやりくりがつかないと依頼されたものですが、にわか勉強でそれぞれ講義録をつくりあげました。その過程で、或ることに気づきました。わが国の保健医療福祉の施策の流れのなかに、明らかに分水席といえるものが存在することです。
 戦後の経済成長にともない、医療保障が年をおうごとに充実しました。1961(昭36)年国民皆保険制度となり、1972(昭47)年には老人医療費の無料化が実現しています。
 しかし、オイルショック後の経済成長の減速と、21世紀初頭での少子高齢化社会到来の懸念から、1975年代以降は医療費抑制の動きが出てきます。1981年3月に第2次臨時行政調査会が設置され、1982年7月には基本答申である「行政改革に関する第3次答申」が出されました。
 医療問題については、
 1)医療費適正化対策の推進
 2)医療保険制度の合理化(軽費医療の受益者負担、給付率の見直しなど)
 3)医療供給の合理化(医療供給体制の計画的整備、国立医療機関の機能の明確化と整理合理化、医療従事者の養成の見直し等)
などが特に指摘されました。
 これを境にして、あとは流れ下るように答申の指摘事項が、つぎつぎと具体化されていきます。それは医療費適正化という名のもとの抑制と自己負担漸増の流れでもあります。
 1983年老人医療費の一部自己負担化、たびかさなる健康保険法の改正(1984、1994、1997、2001など)、4次にわたる医療法の改正(1986、1993、1998、2001)は、すべてこの答申にそったものです。
 高齢者保健福祉推進戦略や国民健康づくり対策も、数次にわたって策定されていますが、国民医療費の節減が根底にあり、答申の影響が色濃く感じられます。
 医療福祉資源には限りがあることがはっきりしてきました。これ以上の増加は当分望めないでしょう。わが国の保健医療福祉の先行きは、必ずしも明るくはありません。
 しかし、医療従事者の卵である学生たちに、これらのことを直載に話すことは、かれらの学習意欲をそぐことにもなりかねません。
 学生には、保健医療福祉制度は固定されたものではなく、社会情勢その他の要因で変りうるものであって、変化には柔軟に対応すべきであること;社会がどのように変化しようとも、病む人はおり、癒しを求めて医療施設をおとずれるので、それに応えるためにも頼りがいのある医療従事者をめざしましょう、と語りかけています。
 変化の可能性をよりよく理解してもらうために、以下のような式を用いています。
 保健医療福祉制度を従属変数yとし、変化の要因を独立変数xとすれば

  y=f(x)
   x1:国の理念
   x2:医学的要素
   x3:社会の政治・経済情勢
   x4:国民の意識
     a.公助、共助(互助)、自助
     b.健康観、生命観、生活観、家族観、平等観
     c.権利意識
   x5:人口構成
   x6:時(時間、時代)

として表わすことができます。勿論、x は他にも存在する可能性があるのでしょう。それぞれの x の間でもいろいろな相互作用があるし、x はまた従属変数にもなりえます。
 x1〜x6 についての説明は、学生に話すときのようにくわしくは必要ないと思います。
 最大の要因である x3 についてはすでに述べました。他の x の多くも、振子のように揺れ動いています。集団検診は有用か無用か、予防接種は義務(集団)接種から勧奨(個人)接種へ、疾病構造は感染症より生活習慣病へ、命が助かればよい医療からQOLの高い医療へ、公助主体より共助〜自助へ、結果の平等主体から機会の平等の重視へ、等々。そして時がたてばまた逆の方向へ振れる可能性もあります。人口構成の変化も重要な要因ですし、時の経過による制度疲労も否めません。
 日本の社会全体が変動期にあることを反映して、保健医療福祉制度はこれからも変化していくでしょう。
 大学が変わる、研究所が変わる、といったなかで、わが国の保健医療福祉の変様についての管見を、書きしるしてみました。

「分野紹介」 呼吸器再建研究分野 近藤 丘

 私どもの呼吸器再建研究分野は初代の鈴木千賀志教授に始まり、仲田 祐教授、藤村重文教授と引き継がれ、私で四代目ということになります。部門が設立した当初は、研究所自体が結核を主とする抗酸菌病の研究所であったため、しばらくは肺結核をはじめとする胸部の炎症性疾患の外科療法が中心でした。しかし、私が入局した昭和50年頃から呼吸器の疾患は肺結核から肺癌に移行しつつあり、その後は年を重ねるごとに肺癌を中心とした胸部の腫瘍性疾患に対する外科療法の比重が高くなってきました。私くらいの年代が肺結核の外科手術を実際に経験したほぼ最後の年代ではないかと思います。この、肺結核から肺癌の外科療法への研究や診療のスムーズな移行が、私どもの分野が呼吸器外科としての地位を確立していくうえで大きな役割を果たしたものといえます。
 その後の肺癌に対する取り組みは、気管支鏡や細胞診といった診断に関するところに始まり、全国のモデルともなった宮城県内での肺癌の集団検診システムの確立を実現しています。このような集団検診の普及、そして細胞診の精度と気管支鏡技術の向上は肺門部に位置する微小な早期扁平上皮癌の発見をもたらし、その手術摘出標本の詳細な解析は、さらに気管支鏡所見とその進展の関係の解析につながり、結果として肺門部早期肺癌の治療方針の確立という大きな成果がもたらされました。同時に多くの前癌病変も見いだされ、分子生物学的観点からの癌化の機序に関する研究も展開されています。この肺門部早期扁平上皮癌は喫煙との関連が強く疑われ、重度の呼吸機能障害や気管支内での多発癌発生を伴うこともしばしばです。このような、癌としては早期のものであるが外科治療の対象とならないものに対する治療のオプションとして、光線力学的治療をいち早く導入し治療成果をあげています。また、気管支鏡というツールの今後の展開として、拡大観察が可能な気管支鏡を用いた気管支粘膜繊毛の観察や、超音波の気管支鏡診断への適用が研究されています。
 肺癌の患者は他臓器癌に比して高齢者であることが多く、また、肺結核時代には概して呼吸機能を大きく損ねた患者の治療にあたらなくてはならなかったことから、肺の切除量の限界を知るということがもう一つの大きなテーマでありました。このことは呼吸と肺循環生理学の研究につながり、肺の切除許容限界を知るための一側肺動脈閉塞試験の結果と実際の肺切除手術後の患者の予後との詳細な検討から、肺の切除限界を具体的に数値化してその基準を明らかにしてきました。この研究は、肺循環障害、肺水腫そして肺胞上皮細胞機能の研究に発展し、一部は肺移植後の肺障害の発生機序の解明と制圧がその対象となってきています。
 肺移植はいまや実際の臨床的医療としてわが国でも確立しつつある領域となっていますが、ほんの5、6年前までは臨床応用の目処さえ立っていない状況でした。私どもの研究分野における肺移植の研究はすでに初代の鈴木教授の時代に始められましたが、当時は、わが国はおろか世界でも肺移植の研究を行っている施設は数少なく、まだ海のものとも山のものとも知れない領域でした。しかし、ほかに取り組む施設が少なかったときに始めたからこそ、その領域での先端に立つことができたのであろうと思われます。皆が向いている方向とはあえて違う方向を向くことも、新しい領域を開拓していくうえでは重要でしょうし、とくにリスクをおかさない横並び主義、みんなで渡れば……主義のわが国では不可欠なものでありましょう。肺移植の臨床はすでに欧米に10年以上の後れをとっており、この中で追いつき追い越せる部分はあまり多くはないと思いますが、欧米での長期成績はいまだ良好とはいえず、ここを凌駕する術を考えていかなくてはならないと思います。私どもの分野における肺移植の研究は、拒絶反応から肺保存まで広い領域をカバーしてきましたが、最近ではとくに肺保存と心停止後の肺移植の研究に力を入れてきました。この結果は従来型と異なる組成でそれを凌駕する成績を得られる肺保存液の開発と心停止後に摘出した肺も移植可能であることを示す成果につながっています。この肺保存液は現在は院内で調整され、すでに2例の肺移植患者で使用されました。
 平成12年秋から病院の統合によって医学部の附属病院で診療を行うようになり、今までよりも診療や学生教育という面で医学部に一層深く関与するようになっています。スタッフの連中は日中はほとんど外来に、病棟に、手術に駆り出されており、日が暮れた頃でないと研究室に人が戻ってこないということもしばしばですが、今まで培ってきたこの教室の歴史を損なうことなく、さらに大きく発展させるべく皆頑張っています。

「研究員会便り」 僕が聞いた昔の話一研究員会室から 山家 智之

 今日もアフガニスタンにはミサイルの雨が降っているようです。
 この研究所の出来た時も、そんな時代だった・‥と、大学院時代に、何人かのOBの先生方やオーベンの先生たちからお聞きました。昔の話をするのは、年を取った証拠かもしれませんし、僕のような若造が話をするのも生意気千万と思いますが、もはやこの研究所の事始? のころの話をする方々も一人二人といなくなり、加齢研や研究員会の今後を考えていくにも、昔のことを思い出して見ても良いような気もしています。
 ある日、まだ助手にも届かない副手だった若手医局員が教授室に呼び出されました。教授といえば、雲の上の天上人! よりも、更に偉い人…、と骨の髄まで叩き込まれていた時代、その医師の顔は蒼白であったに違いありません。緊張の面持ちで教授室のドアを開いた若手医局員に教授は優しく声をかけました。
「熊谷君、君はみちのくの地へ赴いて、一つ西洋医学を広めてきてくれたまえ。」
 その瞬間!我々の所属するこの研究所の歴史が幕開いたのだ。と、昔、あるOBの先生にお伺いしたことがあります。
 東京帝大医学部教授と言えば、医局員にとっては天皇陛下より造かに上にさえ思えた時代、逆らうなんて「さ」の字も頭にも浮かばないまま荷物をまとめて本郷から上野駅、そして雪降る仙台駅に降り立ったまだ三十そこそこの新進気鋭の若手医師、熊谷岱蔵先生の脳裏に何がよぎったのか? 一階の大会議室の壁の一番左にかけられた熊谷先生のご尊顔から伺い知ることは出来ません。
 熊谷先生は結核の権威者として、その後、東北帝国大学第2内科教授、第1内科教授として赫々たる業績をあげられることになりますが、一番に思い出されるのは、やはりバンティングとベストに遅れること半年で、独自に仙台の地で研究されたインスリンの発見でしょうか? 月単位どころか一瞬でも遅れればインターネットで先駆者の名前が奪われてしまう現在では想像もつきませんが、当時は、大戦の足音が聞こえる中、文献さえ思うようには手に入らない時代、まったく独自に進められた研究での飛躍的な業績であるものとお聞きしております。
 さて、仙台の地に降り立った瞬間から、三拾余年間というもの教授として講座を主宰し、東北帝国大学総長まで勤められてきた熊谷先生が、いざ御引退という年齢になって、「熊谷先生ほどの国手が、このまま御勇退されて野に埋もれてしまうのは社会の損失である。」という声が仙台の財界から澎湃として巻き起こり、設立の申請が行われたのが結核の撲滅のための我等が「抗酸菌病研究所」であり、その病院として仙台の財界でお金を出し合って作ったのが仙台厚生病院並びにこれを経営する財団法人厚生会、及び附属のBCG研究所、ツベルクリン製造所など。と、承っております。設置にあたっては那谷先生・海老名敏明先生の筆舌に尽くしがたいご尽力が遭ったとお伺いしました。
 皇紀2601年、昭和16年12月16日、帝国勅令第壱千壱百壱拾九号を持って「抗酸菌病研究所」は設置されました。時あたかも真珠湾にゼロ戦が突っ込んだ1週間後です。今に例えればニューヨークに飛行機が突っ込んだ直後にアフガニスタンに設立された研究所みたいですが、例えが良くないですね? もし、もう少し設置が遅れようものなら、抗酸菌病研究所の資材は満州国か台湾経営の資材にでも回されてしまっていたのかもしれません。建設の時に、熊谷純良が「鉄管・資材不足す。」と、騒いでいる…というような記録が残っているようです。考えようによっては、青少年に猛威を奮った結核への対策はある意味では軍需医学の一環をなしていたのかもしれません。
 その後、熊谷先生は抗酸菌病研究所長にして仙台厚生病院長、財団法人厚生会理事長、BCG研究所長にして東北大学総長として敏腕を振るうことになり、定年退官後も厚生病院の院長・理事長として、その死の間際まで名誉院長回診を欠かさなかったということです。昔はこんな無茶な兼任が有り得たのですね…これだけの雄大な実例を拝見してしまえば、国立大学の教授がどこかの社長を兼任すること等、可愛く思えてしまいます。
 ある日、いつものように名誉院長回診に付き添っていた総婦長さんが「あ、先生・・・」と、気がついた時には、総回診で歩きながらふと立ちすくんだ熊谷名誉教授は、なんと脱糞し失禁をされていた!…とのことで、脳卒中の診断でそのまま厚生病院の特室へ入院され、瞬く間に御逝去されたとお聞きました。思えば、仙台駅へ降り立ったその瞬間から、お亡くなりになる直前まで、教授として総長として理事長として、様々な組織のトップとして君臨され続けた巨大な存在でした。
 結局、この研究所は元を辿れば、厚生病院の組織とともに、たった一人の巨大な存在のために組織された研究所であったようです。我々の研究室の名誉教授の田中先生にお聞きしますと、熊谷先生は「とにかくおっかねえ人だったなあ…」とのことです。「熊谷岱蔵の怒号が響き渡ると、厚生病院から抗研、教授以下全職員、掃除のオバさんに至るまで全職員が震え上がる!」とお聞きしたこともあります。大会議室の遺影には厳格な雰囲気を伝えているようにも思えてきたのは、先輩たちの話を伺ってからてしょうか?
 ノイへレンだった僕の目にも好々爺に見えた海老名先生から、現在の優しそうな雰囲気の帯刀先生に至るまで時代は移り、もう研究所に怒声が響き渡る時代ではなくなってきたのかもしれません。
 さて、熊谷・海老名両先生と、誰も一言とて逆らいえないないような偉大な存在が君臨してきた抗研、厚生病院において、「どうやら、医学部には教室員会とか言う労働組合があるらしい…」と、話題が出るようになったのは何時のころからでしょうか?…、いずれ、どちらの組織も学生運動華やかなりし時代の雰囲気をある程度、残しているような気もいたします。
 教室員会の場合、確かに発足の時からより事情は深刻であったようで、いわゆる「無給医局員」の救済機関の意味合いが強かったようです。
現在でも、大手の内科学の医局などではやっと助手に届くのが卒後15年目と言われています。医師免許を持っていても、当直のバイトすら医局頼みであった時代、生活出来ない! とすら言われる環境は、より悲惨なものであったはずです。
 その点、抗研の医局員は自動的に仙台厚生病院の医師、という在る意味では恵まれた立場を得ることが出来ていたので、「無給医局員」という立場は抗研に限っては歴史上存在し得ませんでした。OBの先生に言わせると「昔はねえ、貧乏人の倅は抗研へ行ったのよ…」とのことです。卒業後すぐに給料がもらえるからなのだそうです。
 教室員会と研究員会、このこつの組織は、その出自からして異なった道を歩んでいるようです。現在でも教室員会の執行部の方々とお話をさせていただくと「教授会の暴虐と戦うために?…」と、二言目には発破をかけられますが、私どもの世代にとっては、まるで発掘された考古学の展示物を見ているような思いがいたします。安保運動、新安保、浅間山荘、三里塚空港問題…と、昔々の学生運動ではいろいろなことがあったと、歴史の時間に習いました。「1789年、フランス革命があった。」というのと、「1960年、安保闘争があった。」というのは、今の平均的な若者にとっては、同じくらいの重さしか持たない遠い遠い出来事でしょうか? フランス革命の歴史学的な評価は現在ですら、未だ定まらない、と、聞いた覚えがありますが、全く意味がなかったように見える学生運動も、歴史的な評価が定まるのは、同じようにこれからかもしれません。
 個人的な話になりますが、私は「仙台厚生病院労働組合委員長」というのもおおせつかったことがあります。仕事はもっぱら新年会忘年会や、職員旅行の手配で、なかなか楽しかった思い出がありますし、古参の職員の方々から昔の話をお伺いできたのは大変に勉強になりました。
 大きな研究業績の他に優れた事務処理能力をお持ちでいらした石岡先生から、次は君やりなさいと申し受けてから二年間、皆様に散々ご迷惑ばかりを、おかけしてきたような気もします。病院統合に伴い研究員会が教室員会に併合されると同窓会・研究会まで存続が危ぶまれる事態を理解してからは、目の前が真っ暗になるような気がした日々でした。御蔭様で、何とか研究員会も同窓会研究会と手を携えて益々発展していけそうな体勢を整えることが出来ましたのも、一重に帯刀所長や庶務幹事の土屋教授を初めとする皆様方のお力ですが、教授会、研究員会からも多くの耳の痛い非常に痛烈な御批判も多々頂きました。力不足も大いに反省しているところであります。
 歴史を振り返ってみても、研究員会も厚生病院労働組合ですらも、厳格な「戦う組織」であったことは、どうやらあまりなかったように思われます。今後病院の統合や組織上の問題で悩ましい事態の発生は大いに予測されますが、もはや熊谷先生のような巨大な存在も出現しえないでしょうし、55年体制が崩壊し社会党すら存在しない現在、「教授会と戦うための研究員会!」という.スタンスには疑問が在るようにも感じられるのは、学生時代からノンポリの私だからかもしれませんが…。
 聖徳太子の昔から、「和をもって尊し」となす日本です。親睦団体としての研究員会や同窓会・研究会から、多くのクロスオーバーしたアイデアが輩出してこの研究所を益々発展させていくことを願ってやみません。

「学会報告」 第26回加齢研シンポジウム
   (IDAC Summer Workshop on Developmental Biology)分子神経研究分野 渡邉裕二 

 本年7月14日に加齢研大会議室において、第26回加齢研シンポジウムとして発生学研究の国際ワークショップが開催された。このワークショップでは直前に京都で国際発生生物学会が開かれたのを機会に、海外で活躍する日本人を含む外国からのシンポジストを招へいして、発生学の最新の研究成果を話し合った。今回は海外から9人、国内から1人の講演者を招き、総数約60人の参加を得た。
 午前中のセッションでは様々な発生システムにおけるシグナル因子(Shh, Fgf, Wnt)・転写因子(Hes, Sox)の役割についての講演があった。これらはマウス・ニワトリ・カエル・魚などの実験動物が利用され、前脳形成・神経分化・神経堤細胞分化・四肢形成・生殖細胞分化と異なる発生システムに関する研究であったが、発生研究では繰り返し登場する馴染み深い分子の話であり、自らの研究対象との共通性・相違点を意識させられる興味深い知見が発表された。
 午後のセッションでは最近進展著しい進化発生学(Evo-Devo)に関連した講演が並んだ。特別講演として昨年の京都賞受賞者であるGehring博士がハエの眼形成の主要制御遺伝子であるEyeless/Pax6の発見とヒトを含む脊椎動物での進化的保存性について講演した。続いてGehring研のPunzo博士はEyelessの2つのDNA結合配列の機能解析の結果を発表した。Maryland大の山本嘉幸博士は進化的に短期間に眼を退化させたcavefish の眼形成過程にどんな遺伝子制御の変化が生じているのかを考察し、Dundee大の田中幹子博士はトラザメの鰭の発生と四肢の発生の共通性について転写因子Tbx5/4を指標にして明かにした。最後にOregon大のPostlethwait博士が魚類でのゲノム重複と、遺伝子重複による遺伝子機能の多様化をSox9 を例にして説明した。
 会場である大会議室では週に1回、理学部・医学部・薬学部・加齢研の発生学関係の研究者による研究報告会(インターラボミーティング)を行っている。本シンポジウムでもこの会の参加者を中心に活発な討議が行われた。また今回のシンポジストには海外でポスドクとして活躍する日本人若手研究者も多く、大学院生へのよい刺激になったのではないかと考えている。
 本ワークショップ開催に際しては、加齢研研究会から多大なご援助をいただき、安井教授・土屋教授から暖かいご配慮を賜りましたことを、この紙上をお借りして感謝いたします。また準備の段階からご相談・お手伝いいただきました研究会事務局の斎藤さんに心からお礼申し上げます。

「研究会同総会広報」 庶務幹事 土屋 滋

庶務報告

  1. 研究会同窓会会員の確認(平成13年11月現在)
     通常会員 785名
      (名誉会員49名,所外523名,所内213名)
     賛助会員 29施設
     購読会員 23名
  2. 加齢研ニュース35号発行
       平成13年6月
  3. 第116回集談会
    日時:平成13年6月23日(土)
    午後1時から
    場所:加齢医学研究所大会議室
    一般口演
    新任教授特別講演
    近藤 丘教授(呼吸器再建研究分野)
  4. 平成12年度加齢医学研究所研究会総会
    平成13年6月23日(土) 集談会終了後
  5. 第26回加齢研シンポジウム
    日時:平成13年7月14日(土)
    場所:加齢医学研究所大会議室
    代表世話人:仲村 春和教授
    テーマ:IDAC Summer Workshop on Developmental Biology

今後の予定

  1. 第117回集談会
    日時:平成14年1月25日(金)
    場所:加齢医学研究所大会議室
    第9回加齢研研究奨励賞授与式・受賞記念講演
    一般口演
  2. 第27回加齢研シンポジウム
    日時:平成14年2月頃
    テーマ:「中枢神経系の分子統御機構と疾患」(仮題)
    連絡先:遺伝子導入研究分野 高井俊行教授
  3. 加齢研ニュース発行
    36号 平成13年12月
    37号 平成14年6月